自己統治論とは(ビジョンと思想)はこちら

実践哲学者・いまだ唯仁

自己統治論提唱者・作家。

福岡県うきは市を拠点に、 「自分という国家を統治する」という実践哲学体系 「自己統治論(Doctrine of Self-Statecraft)」 を構築・発信する。

孫子の五徳を現代に拡張した 「仁子思想・明君七徳(智・信・仁・勇・厳・明・美)」 を定義し、 哲学・科学・戦略の三本柱を統合した実践フレームワークとして体系化。

メンタルコーチ・デザインコンサルタントとして20年以上、 子どもから経営者・トップアスリートまで延べ1,000人以上をサポートしてきた。

問いの始まり

1976年、福岡生まれ。 神道系の信仰宗教を開いた祖父、その二代目の父という 特殊な家系に長男として生まれる。

幼少期から好奇心旺盛で文武両道を歩むが、 高校2年時に父から「宿命」を告げられ、 夢と人生の主権を奪われた感覚に陥る。

小学生の頃から歴史が好きだった。 三国志の英雄譚、戦乱の時代、水滸伝の群像劇。 歴史シミュレーションゲームで夜を明かしながら、 「勝つ者と滅びる者を分ける、見えない原理」に惹かれ続けた。

暗闇の中で

壁を殴り、血が滲んだ拳。 部屋を見渡すと、ふすまに穴。ドアに穴。 夜中に、自分で殴りつけていた。記憶はない。

別の夜、原付バイクでバイパスを走り、 大型トラックとマイクロバスの一メートルの隙間に飛び込んだ。 命のギリギリをなぞることでしか、存在を肯定できなかった頃の話だ。

その後、結婚し、子どもを授かり、離婚した。 自分の未熟さと愚かさの、当然の結果だった。

死のうとした夜、子どもの顔が浮かんだ。 懺悔しながらでいい。答えが出なくてもいい。 前のめりに生きてみようと、そう思った。

変われない自分との格闘

人格を磨こうとした。哲学書を読み漁り、徳を積もうとした。でも、変わらなかった。 科学で整えようとした。脳科学・心理学・神経科学を学んだ。でも、足りなかった。 戦略を学んだ。孫子を読み、勝ち方を研究した。でも、うまくいかなかった。

― なぜか。

頭ではわかる。 しかし、身体が動かない。

一瞬変わったと思っても、気づけば元の自分に戻っている。 どこかに、決定的に欠けている何かがあったのだ。

編集長として気づいたこと

2015年、38歳のとき、出版社の編集長に就任した。 編集部員たちは、優秀だった。 しかし、誰も雑誌をよくしようとしない。

ある日、全員を会議室に集め、自分の想いを語った。 「この雑誌で、誰の人生を変えたいのか。」

一人が答えた。別の一人がそれに続いた。 やがて、一人ひとりが言葉を持ち始めた。

翌週から、編集部が変わった。

そのとき、いまだは一つのことを確信した。

「人は、命令では動かない。 〝自分ごと〟になった瞬間に、初めて動く。」

しかし同時に、一つの問いが残った。 他者を動かす言葉は持っていた。 しかし、自分の人生を動かす言葉を、まだ持っていなかった。

自己統治論の誕生

ある夜、国内政治や海外情勢のニュースをぼんやりと眺めていた。 なぜ国と国はぶつかり合うのか。 ふと、一つの違和感が浮かんだ。

― もし、自分自身を「一つの国」として見たら、どうなる?

この身体は国土であり、この人生は一つの国家運営ではないのか。 では、この国を構成する「国民」とは誰だ。

細胞。37兆個の細胞こそが、この国の国民だ。

その瞬間、いまだの中で、すべてがつながった。 バラバラだった知識。歴史、科学、戦略。 それらが、一つの構造として結びついた。

「勝ち続ける者と崩れる者の差の正体、それは統治だった。」

かくして、理論が誕生した。

「自己統治論(Doctrine of Self-Statecraft)」

自分という存在を一つの国家と見立て、 脳・身体・感情・人間関係・経済を、 それぞれ国家の機関に置き換えて、 科学的かつ戦略的に統治・繁栄させていく実践哲学体系。

今も、建て直し途中の君主として

いまだは今も、 自分という国家を日々統治し続ける実践者だ。

完成された聖人として高みから教えを説くつもりはない。 かつて壁を殴り、死の淵を走り、 自分という国家を壊しかけた人間が、 それでもなお、静かにペンを執っている。

そして、自らの人生を確かに愛せている。

それが、この理論の正しさを示す、 何よりの証拠だと思っている。

出版活動

Kindleシリーズ「勝利の〇〇」

  • 勝利の睡眠(2025年)
  • 勝利の食事(2026年)── リーダーシップ部門 最高11位
  • 以降、習慣・財政・外交・人格・起業・国づくりと続く

ブランドシンボル

「葦なる刃は、静かに尖れる。」

静かに、しかし確かに。 それが、いまだ唯仁の在り方です。